代表挨拶
ESSかたつむり発起人代表の鈴木一夫です。
2010年11月、長年勤めていた自動車会社を退職する。少し自由な時間ができたので、ESSかたつむりのホームページを5年ぶりに更新している。
15年前に設立した英会話自主サークルも、ようやく様になってきた。たかが英語、されど英語。当初、やる気だけが先行した英会話音痴の自分が、これほどまでに英会話にのめり込むことになろうとは、誰が想像していたであろうか。
英会話を通じて、いろいろな人との出会いがあり、別れがあった。生きていることの何たるかも学んだ気がする。
今をひとつの節目と捉え、我が心の英語師匠「松本道弘」をまねて、過去を振り返り自身の英語格闘史を記してみた。
2010年10月7日
英会話への目覚め
ESSかたつむり設立の2〜3年前であるから、1995年頃であろうか、腑としたきっかけで近所の本屋に立ち寄ったところ、一冊の小さな本が目にとまった。「私はこうして英語を学んできた。」というタイトルであった。著者は松本道弘。
私の勤めていた自動車会社でも海外進出が盛んになりつつあり、英会話の習得が奨励されていた。
当時は、サラリーマン生活もマンネリ化し、何かしなければいけない、このままではいけない、そんな気持ちが心の中で膨れ上がって、マグマのように今にも爆発しそうであった。
パラパラとページを捲ってみると、なかなか面白い。瞬間にコレだと思った。松本氏は、関西学院大学の柔道部で稽古に励む傍ら、自らあみ出したやり方で英会話を習得し、一度も海外に行くことなく、30台半ばの若さでNHKの上級英会話講師にもなった。
若かれし頃、街角で外国人をつかまえディスカッション、日系ハワイ人のフリをして英語力を試し、英語の猛者の噂を聞きつけ戦いを挑む・・・英語を格闘技とみなし、武道ならぬ「英語道」を提唱しているとある。
これはという興味のあるものを見つけるとわき目も振らず、のめり込む性格の私へのインパクトは強烈だ。この偶然見つけた一冊の本が、英会話への目覚めであり、英語との格闘の始まりであった。
インプット修行時代
1995年頃であろうか。「英語道」を提唱する松本道弘氏の「上級者を目指すならインプットを重視すべき。」の教えに従い、英会話ができる場所を求めてさまよった。成果はなかなか現れなかったが、いつかは芽が出ることを信じて我慢した。
手始めは豊田市駅前の英会話学校のイーオンであった。外国人に交われば英会話が上達するという甘い考えを持っていたのも入門者のこの頃だ。体験入学はしたものの授業料が高くて、入校は即座に断念した。
次に求めたのはカルスポや公民館で開催される英会話講座や英会話サークルである。いずれも、講師が日本人であったが、英会話を教えるといううたい文句というには余りにも奇妙で場違いな所であった。
基本的な構文を覚えさせた上で、文法を説明する、しかも、説明はすべて日本語だ。こんな内容なら独学できると心の中で馬鹿にしていたものだ。どの講師も面白可笑しく話をできる話題がないのだ。
我が心の英語師匠松本氏の言っていた「英会話は情報量が大切だ。」を身にしみて感じたのもこの頃である。
英語の情報量を増やせる機会を探っていたところ、英語のシャワーを浴びることができる場所−豊橋JLTミーティング、名古屋イングリッシュソサイアティ−をやっとのことで見つけて参加した。
極めつけは、松本道弘英語道場名古屋支部主催ヂィベートコンテストの観戦であった。そこに審判として出席されていた松本氏の英語に直接触れたとき、鳥肌がたったものである。
テーマはメソポタミア文明であった。今でも鮮明に記憶に残っている。英語はリズム、スピード、パワーというが、本当に3拍子が揃った、美しく流れるように流暢な英語で痛く感動した。
遊び、ビジネスでの英語修行時代
「英語道」を知ってから3年位経った頃であろうか。インプットが効いてきたのか、日常会話に少し自信が出てきたのがこの頃だ。
当時は名古屋支社に勤めていたが、遅くまでの残業続きで、休日といえども疲れを感じていたせいか、街に出歩くことも余りなかった。それでも、ストレス解消と英会話の度胸ためしに、香港、マカオ、シンガポール等 英語が話せる国への一人旅を楽しんだ。
シンガポールでは、タクシーの運転手にストリップショウは好きかと聞かれたので、「Yes」と答えたところ、とても危険なところに連れて行かれた。
ストリップショウは春を買うところであった。しどろもどろの英語で断りを入れると、それらしき柄の悪いお兄さんが2人現れた。・・・薄暗い横手の方に目をやれば、薄汚いドブ川だ。よく日本に生きて帰れたものだと悦に感じ入っている。
振り返ってみれば、いろいろ危険な目には遭ったが、話題力は格段にアップした。英語が少し話せるようになると、海外出張の機会も増えてきた。英国、アメリカ(ケンタッキー、カリフォルニア)、カナダ、ベルギー、タイ、南アフリカ、中国等 駐在経験はないが、10日前後のビジネストリップを幾度となく経験した。
通算の滞在日数は3ケ月位になるであろうか。プレゼン、資料説明等は、事前準備さえ怠らなければ成果をだせるが、Q&Aでは苦労の連続であった。コミュニケートできないのだ。
聴けなかったら聞き返せば良いと考えていたが、実践の場では役に立たない。2回も3回も聞き返せば、現地人からはそっぽを向かれる厳しい現実が待っていた。
もっともっと英語の耳を鍛えなければいけないと感じたのはこの頃だ。
ある女性との出会い
2001年頃であろうか。「英語道」に心酔し、英会話の修行をコツコツと続けていた頃、ひょんな事から一人の若い女性に出会った。
どこで、どのように出会ったかはこの際問題ではない。
確実に言えるのは、彼女の生き方こそが、私の英語に対するモチベーションを常にキープさせてくれたことだ。岡山で一人暮らしをしていると聞いているが、私とは歳がふた周り違う。
趣味は料理・洋裁・ヒップホップダンス・音楽と幅広い。平日は国立医療センターで栄養士として働く傍ら、日曜日には駅前の喫茶店でバイトもしている頑張り屋だ。時間に余裕があれば、管理栄養士を目指して図書館通いもしていた。
英語道を目指して頑張っていると心の中で自負していたが、頑張り度という点では、彼女に負けを認めざるを得ない。
会話といえば、「仕事でも、バイトでもしっかりやっていれば、人は絶対裏切らない。」、「す〜さん、英語頑張ってね。」と言ったたわいもないものであった。
英会話に一生懸命努力をしているつもりでいたが、なかなか成果が表に現れて来ない状況で、どれほど心が癒されていたか感謝しきれない。
確か、「これからの女性は自立が大切だから、自分を安売りせず頑張れ。」と声援を送ったと思うが、彼女の心に響いていたであろうか。・・・。
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まえがき
1.出会い・・・”こんばんは”から始まる
2.揺れる気持ち・・・名古屋のホテルにいる
3.声が聞きたい・・・メールだけでは我慢できない
4.思いが募って告白・・・思わず求めてしまった
5.何時も一緒・・・ウマが合うとはこのことか
6.真夏のツーリング・・・癒されて力が湧いてくる
7.由美の転勤・・・医療センターから小学校へ
8.由美の帰省・・・しばらく自由に会えない
9.音信不通・・・声が聞けない不安な毎日をおくる
10.海外出張・・・由美のお蔭で乗り切れた
11.癒しのひと時・・・まったりと時が過ぎる
12.間違いメール・・・もう会えないかも知れない
13.不安な毎日・・・由美がいたから頑張れた
14.とても苦しい・・・鳥かごから解放しないと
15.2度目の転勤・・・由美が小学校から三菱へ
16.生涯で一番苦しい・・・気になる人がいる
17.ありがとう・・・由美の幸せを祈る
あとがき
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TOEICへの挑戦
入門レベルの英会話音痴が、水面下で英会話のインプットをひたすら続けていた頃であろうか。私が働いていた自動車会社においても、アメリカ、カナダといった北米への工場進出が盛んになり、職場でも英会話の習得を奨励する雰囲気に満ちていた。
海外関連の業務経験はゼロであったが、自分のレベルがどの辺りか気になりだした頃だ。腕試しのつもりで受験した、1回目の結果は散々たるものであった。確か、300点であった。実力は皆無に等しい。
その後一発奮起し、英字新聞やNews Weekにチャレンジし、2年後には500点、5年後には650点、8年後には750点と受験に特化したトレーニングは殆んどしなかったが点数は徐々に伸びた。
丁度、今から8年くらい前である。以降、TOEICは受験していない。現在は自称750〜800点の辺りであろうか、点数に一喜一憂する時期はとっくに終えている。
現在は、「英語道」を探求していく中で、英会話というアイスバーグの水面下に隠れた部分、情報量・論理的思考・説得力等 真の英会話力のスキルアップに向けて修行中の身である。
スピーキング修行時代
「英語道」を知ってから、2〜3年経ったから、1997年頃であろうか。インプットが効いてきたのか、無性に英会話のアウトプットがしたくなり、話し相手を探したものだ。
カルスポに参加していた仲間に電話をかけて、腕試しを試みたが、大半は今家族が傍にいるから英語を話すのは恥ずかしいとつれない。
英会話のできる機会を増やしたい気持ちが強く、末野原公民館(現在は交流館に改名)の英会話サークルにも顔を出した。
このサークルは名ばかりで、カリキュラムが幼稚であった。
幸か不幸か講師の都合で閉鎖される運命にあった。
話し相手を確保したい一心で、最終日に「カリキュラムを見直し、英会話に特化したサークルに再構築したいが、参加しますか。私がリードします。」と問い質したところ、多くの賛同を得た。
ESSかたつむりの誕生である。中級者手前の私が入門者、初級者に英会話を教えるのだ。勿論、原則日本語は禁止である。
1回目のテーマは「GoとCome、GetとTakeの違い。」であった。艱難辛苦汝を玉にするという諺があるように、やる気になれば道は開けると実感したものだ。・・・。
ESSかたつむり設立から1〜2年経った頃であろうか、インターネット上で英会話を教えてくれるEnglish Townというサイトを見つけた。当時の受講料は2900円/月と安い。講師は全てネイティブだ。
幸運なことに、チャットルームまでついている。以降、ライブレッスンは20回位受けたであろうか、私の期待する内容ではなかったので、徐々に疎遠になったが、チャットルームはいろいろな英語が生で聞けるので足蹴なく通った。
ネイティブはいないが、中国人、韓国人、ブラジル人、日本人、イスラエル人等 国籍は多彩だ。ルールは話をするときには英語を使うこと、人を中傷する言葉は使わないということだけだ。
リーダーもいない、あらかじめ決められたトピックもない、初心者も上級者も話す権利は平等だが、積極性がないと話に加わる機会はない、私のもっとも好む世界であった。
当初は自己紹介、What’s New?等差し障りのない話題ばかりであったが、昨今は、尖閣諸島、ミヤマーの難民、Google中国撤退等 センシティブなテーマも議論できる仲間も増えつつあり、日夜奮闘中である。
リスニング修行時代
English Townで異なる国籍の人達と英語でのチャットに慣れるに伴い、スピーキングには少しずつ自信が出てきたものだ。
一方、リスニングは、なかなか手応えを感じられないまま無意味な数年が過ぎ去っていた。
ビジネスの場においても、時折開催される海外事業体とのテレビ会議では、一方的に資料を説明したり、自分の考えを伝えるだけであれば、何とかごまかしが利くが、質問されたり、反論されるとお手上げだ。もっとリスニングに本格的に取り組まなければいけないと感じたものだ。
一発奮起するきっかけとなったのが、2008年に開催された北京オリンピックだ。押入れにしまってあった短波ラジオを引っ張り出し、短波放送で中継を聴き始めたのだ。
始めは十分聴き取れなかったが、オリンピックが閉会となる頃には、「おやっ。聴けるではないか。これはいける。」と胸が高鳴った。
以降は、以下のサイトを利用して、リスニング強化に励んでいる。・・・。現在は徐々にではあるが聞き流しで50〜70%が理解できるようになってきている。
「英語道」2級は、その角を曲がったところだ。
●American Forces Network(AFN)
在留アメリカ軍に向けた、アメリカ軍のラジオで、全編英語です。昔はFENと呼ばれていた。音楽もかかり、日本の観光案内からキリスト教の説教まで、バラエティにとんだ放送で、ナチョラルなアメリカ英語が聴ける。これが制覇できれば、映画の聴き取りなんてチョロイ。
●TED Ideas worth spreading
学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物のプレゼンテーションが聴ける。
●VOA Learning English
字幕も出て、若干スローで聴き取りやすい。スピーカーは見惚れてしまうほどの美人
●Voice America Helath & Wellness
極めて、ナチュラルな英語が聴ける。性別、人種、年代と問わずいろいろな英語に触れることができる。
●Internet Dadio Talk Show
極めて、ナチョラルな英語が聴ける。ビジネス、教育、健康、ライフスタイル等いろいろなカテゴリーの英語が聴ける。情報入力には持って来い。
●NHK WORLD RADIO JAPAN
ジャパニズ英語なので、リスニング強化には不向きだが、日本で起こった出来事の情報入力には持って来い。
●NHK WORLD ENGLISH
チャイニーズ英語、タイ英語も聴ける。アジア地区で起こった出来事の情報入力には持って来い。
●BBC Learning English Words in the News index
ナチョラルなイギリス英語が聴ける。世界で起こった出来事の情報入力には持って来い。
●English as a Second Language(ESL) Podcasts etc.
英語を学ぶ人達のための英語が聴ける。学習用の英語なので、聞き取りは容易である
TIME修業時代
2011月9月、英会話学習を通じて、K氏と知り合った。彼は8年に渡る米国の滞在経験があった。帰国後は英語の使い手として、私が心酔する我が心の英語師匠:松本道弘氏が主宰する英語道場にも、時折参加していた。
とある日、K氏と私は「英語上達の秘訣」や「英語教育の在り方」をネタとして、末野原交流館の一室で2時間ばかりの英会話を楽しんだ。この時、私は議論には不自由を感じなかったが、大和ことば(e.g. 面子を失う)を上手く表現できないことに気づいた。
彼はそんな私に貴重なアドバイスをくれた。
「鈴木さん、TIMEに挑戦してみてはどうですか。今からでも遅くはないですよ。」・・・『今からでも遅くはない。』この一言で、TIMEへの挑戦を決意した。
早速、TIMEを定期購読し、交流館・図書館・喫茶店などリーディングに集中できる場所を求めてさまよった。家の近くの「豊田の離れ:元町珈琲」は、最後に辿り着いたお気に入りの場所だ。
店内はやや薄暗く、洒落た雰囲気の中でコーヒーを味わいながら、TIMEが楽しめる。元町を知って、しばらくは週に1〜2回通った。
そんな中、2013年の夏、キビキビした振る舞いの中、腰の辺りまで長く伸びた黒髪で、抜群のおもてなしができるウエイトレスがいることに気づいた。
TIMEを読む手を止めて一息つくと、私が陣取るテーブルの真横で、左手でテーブルの端をぐいっとつかみ、右手でゴシゴシ、まるで磨いているようであった。実際はともかく、私には確かにそう見えた。
その姿はひた向きで、とても女性らしい仕草だったので、私は思わず一声かけてしまった。
「あなたは甲斐甲斐しく働いていますね。」 彼女は不意を突かれたのか、驚いたようすで「今日は暑いですね。」、団扇にみたてた手で、顔をあおぐ素振をしながら答えてくれた。私は心の中で、とても爽やかで、気転の利いたリアクションに脱帽したことは言うまでもない。
“男の頑張りの裏には女の影あり”という言葉があるが、私も男の端くれ、少しは当てはまるようだ。時折、話しかけたときに返す笑顔がとてもチャーミングで、やんわりと返すリアクションがとてもユニークで温かい。自然な成り行きで、TIMEに馬力がかったことは言うまでもない。
TIMEの成果を語れば、「なかなか手ごわい。」 という一言に尽きる。それでも、一足飛びにとはいかないが、語彙も少しずつ増えており、リーディングのスピードや質の進歩を実感しつつある。
80パーセントの理解度で、2012年は30時間(4H/日×7日)、現在(2014年)は20時間(3H/日×7日)くらいで一冊を読み切れるようになった。
2012年は一冊読むうちに400語くらい辞書を引いていたが、今では300語程度だ。松本氏の東京から大阪までの新幹線の中で一冊を読み切るという領域には遠く及ばないが、心意気だけは負けないつもりだ。
TIMEが郵送される月曜日が待ち遠しく、まだまだ、チャーミングなウエイトレスのいる「豊田の離れ:元町珈琲」のお世話になりそうだ。
★★★★⇒
1.「甲斐甲斐しく働いていますね。」「今日は暑いですね。」
2「.髪型が変わりましたね。」「バッサリ切られてしまいました。」
3.「コーヒー入れなおしたんですか」
「冷めたコーヒーは美味しくないです。」
4.「あなたは、相変わらず気が利きますね。」
「いやいや、そんなことないですよ。」
5.「チケット、私が預かっておきますよ。」「では、おねがいします。」
6.「連勤で体を壊さないようにしてくださいよ。」「10連勤でした。」
7.「奥で働いている時には、特徴があるんですよ。」
「癖がでるんですよね。」
8.・・・・
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
もう一段上を目指して
「英語道」に目覚めて苦節20年、昨今、ようやくネイティブにも臆することなく、話ができるようになったが、まだまだ道のりは遠くきびしい。
松本氏なら、「Improving English is a long way to go.」と言う表現を使うであろう。
これまでは英会話の基礎づくり、これからが英会話を本格的に楽しむピリオドだ。
英語はリズム、スピード、パワーというが、リズムの習得は日本国内では至難の業だが、スピードとパワーは国内でも十分可能だ。
スピードとは英語をネイティブの如く、流暢に話すことではなく、ネイティブがナチュラルに話をするスピードで聴き取りが出来るということだ。流暢に話せることは結果の産物なのだ。
パワーとは情報量だ。英会話をアイスバーグに例えるなら、水面下に隠れた部分が大きければ大きい程潜在的な情報量が豊富ということになり、コミュニケートできるネタが詰まっているということ。
今後はリーディングとリスニングでインプットを加速し、情報量を溢れんばかりに蓄積して、「英語道」の頂上を目指し、全力投球で修行を続ける覚悟である。
2014年11月4日
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