まえがき
「なぜ、完成まで辿り着けなったのか。」再度、自問自答してみた。答えは明白だ。楽しい思い出ではあったが、思い入れが欠けていたのだ。忘却の彼方に消え去っても、気に留めるほどの思い出ではなかったのだ。
「由美との思い出は本物なのか。」 何気なく受け取ったメールから、見も知らぬ二人が知り合って、「由美!」「すーさん!」と呼び合う間柄に変わっていく。些細なことで喧嘩をして、しばらくすると何事もなかったように仲直りしていく。さりげない会話の中から感じる優しさや愛おしさ、恋だったのかも知れない、いや紛れもない恋だった。
お互いを壊さない計り知れないいたわりをもった恋、お互いを大切に思い過ぎた切ない恋、人はそれを純愛と呼ぶであろう。今でもそれは簡単には忘れがたい。
さりげなく、冗談交じりで聞いてみた。「由美との思い出を描いていいかな? 渡辺淳一擬きになって、エロエロになるかも知れない。英語のHPに載せるかも知れないよ。」「すーさんと由美が同じ時を過ごした証だね。す〜さん、芥川賞を貰うかもよ。すーさん、作家になっちゃたりして・・・。」
あの泣き虫の由美がこんな物言いをするようになった。本当に大人になったものだ。本文に描いたのは、その折々の節目となる思い出、楽しいことばかりであった。しばらくは、その思い出を一つ一つ振り返りながら、『すーさんの純愛物語』の完成に向けて、一歩一歩筆を進めてみたい。
2012年10月
「こんばんは。」手に入れたばかりの携帯に突然メールの着信が鳴った。最初の着信は、2001年6月25日。毎回、夜の9時頃になると、送り主不明の着信が入った。しばらくすると消える。「一体誰だ。失礼な奴だ。」 単なる間違いメールではなさそうだ。誰かがゲーム感覚で、私を持て遊んでいるようだ。
数日経つと、また着信が入った。そんな断続的な時期が1ケ月位続いたであろうか。その後、プッツリ着信が途絶えた。不思議なことに、今度は、「どうしたのかな。あれは何だったのか。誰なのか。」、私の方がいろいろ気になりだした。思わず、「今晩はだけでは、分からん!!」と思いに任せて、つっけんどんに返信してみた。
すかさず、返事がきた。「佐山由美といいます。友達からはゆみっぺと呼ばれています。」「どこに住んでいるのかな。」、「岡山です。」、「こちらは豊田だよ。」 送られてくるメールが長くなるにつれ、丸文字風だと気づいた。送り主は女性に違いない。しかも、かなり若い。「世の中、怖いお兄さんがいっぱいいるから、メールで遊んでは駄目だよ。」と戒めた。
他愛もないメール交換が1ケ月くらい続いたであろうか。送り主の素性も少しずつだが、いろいろ読めてきた。岡山県倉敷市で独り暮らしをしているとのこと。
車で30分くらいのところに両親が住んでいるのだが、生活の自立を目指し、親元を離れて暮らしていた。名古屋の大学(栄養学専攻)を卒業後、地元の国立医療センターで栄養士をしながら、日曜日には駅前の喫茶店でバイトもしていた頑張り屋だ。
「で、なんて呼べばいいのかな。こちらはすーさん、かずさん、鈴木さんのどれかでいいよ。」、「それではすーさんと呼びます。私は由美って呼んでください。」、「じゃ、由美って呼ぶね。」
メール交換が多くなるにつれて、いろいろなことが分かってきた。158センチ、24歳、私とはふた回り違った。本当のところは後日修正が入り、この時20歳、色白で中山美穂に似ていた。髪型はロン毛で栗色、容姿には自信ありげだ。趣味は音楽、料理、洋裁、ジャズダンスと多彩で活動的、出勤前に部屋の掃除をするきれい好きな女性であった。
最初の“I got a e−mail”から2ケ月がたった。メール交換もかなり頻繁にするようになっていた。忘れもしない、8月のとても暑い土曜日の昼下がり、日課となっているジムでのトレーニングを終え、いつものように車の中でメールをしようとしていた矢先に、着信が鳴った。由美からだ。
「昨日は鳳来寺でキャンプしたよ。」、「え〜、キャンプ、誰としたの。」、「秘密〜、昨夜はお酒も少し飲んだよ。いま、安城という駅を通過したよ。今晩は名古屋に泊まる予定、豊田はここから近いの。」 由美が名古屋に来ていることは、寝耳に水、驚いたのは言うまでもない。
「え〜、由美がこの近くにいる。昨日は鳳来寺でキャンプした。酒も飲んだ。いったい誰と・・・。」 夏場の暑い盛りに、気の合う若い連中が集まって、キャンプをすることはよくあることだ。特に気に留めるほどのことではない。それにもかかわらず、一瞬ではあるが妙な気持が心をよぎった。
「若者がキャンプしたら、少しくらい酒は飲むわな。でも、女性だけのキャンプなんてあり得ない。だったら、男連れ。」 なんとなく気分が沈んできた。「由美がグループとはいえ、男たちと一緒にいる。」
得体の知れない何かが頭の中に現われた。「え〜、やきもち、嫉妬!!」 そんな馬鹿な話がある訳がない。声も聞いていない。
翌日の10時頃、着信が勢いよく鳴った。「いま、名古屋にいるの。1時15分の新幹線で岡山に帰ります。」 身支度を終えて、ホテルを発つ前にメールを入れたのであろう。
「いま、車を飛ばせば、名古屋駅で会えるかも知れない。ひょっとして、見送りに来てほしいというサインかも知れない。そうでなければ、1時15分なんて入力しない。いやいや、特別な意味がある訳がない。・・・」
また得体の知れない何か別のものが頭をもたげてきた。そして、ぐるぐる回った。「興味、好奇心、恋心!!」そんな馬鹿な、ただのメル友だ。まだ声も聞いていない。
2001年8月の鳳来寺山のキャンプの一件以来、メール交換が驚くばかりに増えた。初めは、「おはよう、いい天気だね。」、「こんにちは、今何してる。」、「おやすみ、ぐっすり寝てね。」といった簡単なものだったが、徐々に回数が増えた。お互いがいろいろなことを伝えたい、聞きたい、知りたいということであろうか。
ロングメールも増えた。毎晩9時頃になると必ず着信が鳴った。来ないときは気になって、こちらからメールした。即座に着信が鳴る。一週間前には、「友達と海に行ったよ。ナンパされたよ。」というドキッとするメールが入った。まるで、こちらの反応を確かめているようだ。
若い娘たちが連れ立って海水浴に行けば、ナンパなんて日常茶飯事なのであろうが、妙に気になり始めていた。「由美がナンパされた。」メール交換が打ち解けて来るにつれて、また、例の得体の知れない何かが頭をもたげてくる。
「優しい声、癒される声、シャキシャキな声、甘えた声、ハスキーな声。どんな声をしているのだろう。一度、声を聞いてみたい。」そんな思いが日増しに高まってくる。
そんなことを考える度に、胸の鼓動が激しくなってくる。そんな揺れる思いの中で、2〜3週間が瞬く間に過ぎた。2001年9月のとある夜遅く、思い切って由美の携帯に電話した。
「・・・。」、返事がない。「もしもし、もしもし、・・・聞こえるかな。すーさんです。」と聞き返した。「はい。・・・」 返事はあったが、小さな声なので上手く聞き取れない。携帯電話も出たばかりで通信事情も良くなかった。狭い部屋の中で位置を変えたり、向きを変えたり、いろいろ試してみた。
悪戦苦闘の末、しっかり声をとらえた。「由美です。」、恐る恐る話しているような、とてもか細い声ではあったが、由美の声をしっかり聞いた。そして、しっかりと心の中に刻み込んだ。
声を聞いてからは、携帯で話をする機会が日増しに増えた。寝る前のひと時がゴールデンタイムだ。初めて聞いた声は、びっくりするほどトーンが低かった。通信事情が悪い上に、見も知らぬ男性と話をするためらいから、怯えていたのであろうか。おやっと思うほどであった。
一瞬、「24歳って嘘ではないのか。暇をもて余すおばちゃんに、おちょくられているのではないか。」と疑った。不思議なことに、2回、3回と話を重ねるにつれて、低い声が魅力的な声に変わった。少しずつではあるが、由美の緊張がとけてきたのであろう。
甘く優しい、いつまでも聞いていたい癒しのある声だ。何となく気になる女性、そんな気持ちが心の中に芽生えていた。
体重47キロ、バスト86センチ、身長158センチというから極めて女性らしい体つきだ。泣き虫で意地っ張り。暇なときには、竹内まりや、今井美樹の音楽を聴くという。ワインなら多少はいける口だが、ビールは一杯で酔ってしまう。
どちらから先にコールするという決まりはないが、毎晩9時頃には着信が鳴る、おやすみコール以外は、頃合いを見計らってこちらからコールした。話し始めたら止まらない。次から次ぎへと話が弾み、時の経つのを忘れてしまう。
もっともっと由美のことを知りたい、
そんな気持ちが日増しに強くなっていた。由美の声が聞けない日は、落ち着かなく、ソワソワしている自分に気づいた。
2001年12月26日夜半過ぎ、職場の忘年会で2次会へ行った後なので、かなり深酒をしていた。とっくに寝ているとは思ったが、習慣とは恐ろしい。ダメもとで、おやすみだけを云おうと携帯を鳴らした。即座に繋がった。
忘年会であることは伝えてはあったが、こんなに遅くまで由美が起きていたとは。
「え〜え。ひょっとして待っていた。こんなに遅くまで。」 翌日は土曜日なので、起きていたのは偶然であろう。「いいや、偶然ではないかも知れない。」
そんな思いの中で、布団に横たわって話をするうちに、急激に酔いが回ってきて、頭の中がぐるぐる回っていた。きっと、由美もパジャマ姿で温かい布団に包まっている。声がか細く妙に悩ましい。「由美が隣に横たわっている。」酔いが手伝って想像が膨らむばかりだ。体が熱くなってきている。
「すーさん。・・・」由美の声が悩ましい。想像が暴走している。思わず、口をついて出てしまった、「由美が欲しい。」「・・・。」返事はないが、携帯は繋がったままだ。
深酒をしていたとはいえ、ふた回りも違う女性にいきなり、「欲しい。」と言い放ったのだ。他にも話をしたとは思うが、この一言しか記憶にない。卑猥な言葉も投げかけたかも知れない。しばらくしてから、由美から一言だけリアクションがあった。
「男の人って、どんな時に女性が欲しくなるの。」「いろいろな人がいるけど。すーさんは女性を独占したいと感じた時かな。」「え〜、そうなの。」それだけだ。心の中を読みすかされて、気恥ずかしい気持ちではあったが、隠しようのない素直な気持ちだ。
12月26日の出来事が何事もなかったかのように時が過ぎて行く。「もっと声を聞きたい。話がしたい。」そんな気持ちが心の中で日を追うごとに膨らんでいた。
カルスポ・末野原駅・事務3号館の公衆電話から、暇を見つけては電話をした。聞きたいこと、伝えたいことが、これといってある訳ではないが、声を聞きたいという感情が押し寄せてくるのだ。生活リズムが分かっており、電話をすれば即座につながった。
「ひょっとして、待っているのかも知れない。・・・そんな馬鹿な。」カルスポの公衆電話は日当たりが悪く、冬場は凍りつくように寒い。夏場は虫が頭の周りをブンブン飛んでうっとうしい。末野原駅の公衆電話も同じだ。夏場は日差しが強烈で蒸し風呂のようになる。
毎回決まった時間にボックスにいるので、いつも通る女子高生のグループには白い目でみられた。過ぎ去った後で、こちらを振り返り何やらヒソヒソ話をしている。「絶対、相手は家族じゃないよね。」「そうだよね〜。」
極めつけは、事務3号館1階の受付近くの公衆電話だ。始業前の8時ころに、電話するのが日課となっていた。
「もうメイクは終わったの。」「あまりメイクしないから楽ちんよ〜。ほとんどリップだけ。」他愛もない話だが、とても楽しい。毎回同じ場所で電話をかけるので、受付嬢が何やら怪しげにこちらの方をちらちら見ている。
掃除のおばさんとも顔なじみだ。気の利くおばさんは立ち位置を飛ばして、モップをかけてくれるのだが、邪魔だと言わんばかりに気の利かないおばさんもいた。怪しげな行動を見透かされているようだ。
公衆電話を意図的に使った。電話をする時間が日を追うごとに増えている。とある日、請求書が郵送されていることに気がついた。数千円の通話料が2万円位に跳ね上がっていた。その足でボーダーフォーンに車を走らせた。
幸いなことに、通話先を1名限定すれば通話料が定額となる「LOVE定額」があった。即座に契約したのは言うまでもない。請求書もネット送付に変えた。
「ラブ定額」に変えてからは、由美の存在がますます身近なものになっていた。いつもとり止めのない話をした。遠く離れて暮らしている感覚は微塵もない。いつも一緒だ。話し込んだらいつまで経ってもたっても終わらない。ウマが合うということか。歳の差はまったく感じない。
2001年の正月休みは、豊田市にも雪が降った。普段は雪が積もったら絶対に出かけないのだが、実家に帰っている由美の声を聞きたい一心で、生協に車を走らせた。夕食前のひと時は話ができる唯一の時間だ。駐車場に車を止めて、由美の携帯を鳴らす。
「いまは一人なの。」「いや、部屋ではないよ。家の近くの生協にいる。声が聞きたいから。」「嬉しい。・・・。」車の中とはいえ、足元が冷えるところで、30分くらい話し込んだであろうか。
「すーさんただいま〜。ゆみのバイト中にしてくれたメールとっても元気がでて嬉しかったよ。ありがとう。すーさんどうしてるかな?って、やっぱり気になってるときのメールだから とっても嬉しかったよ。すーさんがいるからバイト頑張れるんだよ。ありがとう。」
すぐさま、携帯を手にとった。帰る道すがら桜の下のベンチに一人ぽつんと座ってメールを打ち、返事を待っている由美がとても愛おしい。
この頃は、数年前に立ち上げた英会話サークル「ESSかたつむり」で、にわか仕込みの講師を務め、毎週土曜日の午後は末野原交流館に通っていた。会の前には、必ず由美の声を聞くのが日課だ。「英会話に行ってくるから待っていてね。」「は〜い、英語頑張ってきてね。」
他愛のない会話ではあるが、これだけでやる気満々になるから不思議だ。交流館だけでなく、カルスポの駐車場、散歩の途中の公園、ツーリング途中の神社などひと気のないところ、風を遮るところ、暖かいところ、静かなところを探しては話し込んだ。パチンコ屋にいても着信が鳴った。
2002年6月の同期会では、8時頃であったろうか、トイレに行くふりをして席を抜け出し、由美の携帯を鳴らした。「は〜い、すーさん、どこにいるか分かるかな〜。」妙に内にこもった声だ。ちゃぴちゃぴした音が響く。
「え〜、風呂の中なの。」「そうです〜。由美の体見ていいよ。ぴちぴちだよ〜。」「携帯を落としたら大変だよ。」「大丈夫よ〜、由美の体のどこが一番見たい?」「・・・。」「はい、おしまい。」天真爛漫というか、無邪気そのものだ。
この日は夜遅く由美の携帯を鳴らした。2次会のカラオケが終わった後だから、午前0時を回っていた。満天の星の下で長椅子に寝そべって、30分くらい話し込んだであろうか。「由美の体で、一番見たいところはどこ?」「おっぱいかな。」「それから?」「お尻。」「それから?」「由美の一番大切なところ・・・。」
部屋に帰ってみると、仲間が騒いでいた。「鈴木、一体どこに居たのだ。お前を心配して探していたのだぞ。」「いや〜、ちょっとな。」真夜中にこっそりと部屋を抜け出し若い女性と電話していたなんて、口が裂けても言えない。男性陣はともかく、こんな出来事が女性陣に知れたら、勘ぐられるに決まっている。
家に帰る途中にあるカルスポの駐車場に車を止めて、30分くらい話し込んだ。「映画面白かった?」「眠らなかったから、まあまあじゃないの。英語の聞き取りがうまく出来ないのでストレスがたまるよ。」・・・「名古屋の大学で寮生活していた頃は、すっごく楽しかったよ。勉強もいっぱいしたよ。」「そうなの。いい思い出でばかりでよかったね。
すーさんも一時トヨタの名古屋支社で働いていたよ。ひょっとしたら、栄の街中ですれ違っていたかもね。」「由美ね、すーさんが名古屋の人でなかったら、こんな風にはならなかったと思うよ。」「だったら、出会えたのは縁があったということだね〜。」「そうよ〜。運命だね。」とても話が弾んだ。
すっかり日も暮れて辺りが暗くなっているので、帰ろうとすると、由美の表情が突然変わった。「もう帰るの? そうね、奥さんが待っているのよね。」この日はいつもと様子が違った。
「由美が名古屋に住んでいたら、会いに来てくれるの?」「・・・。」 突然のことで返事ができない。「すーさん、会いに来てくれるの?」「・・・。」「会いに来てくれないの?」いつしか涙声に変わっていた。
2002年6月、由美と知り合って丸1年になる。「すーさん マジマジみないでよー。この写真撮った時、右目にものもらいができた後だったよ。目が変だョ。」2〜3日前に欲しいと言っていた由美の写真が送られてきた。
見た瞬間に言葉を失った。友達からは中山美穂に似ていると言われていたが、それ以上ではないかとさえ思う。
目鼻立ちがすっきりして、細めの首筋が妙に色っぽい。短く整えられた髪が素敵だ。ジャズダンス用の黒いレオタードがセンスよく似合っている。「そりゃ、いっぱいナンパもされるわな。口元のホクロが素敵だね。」「でも、友達かからはエロボクロと言われて、嫌だよ。」「そんなことないよ。」
出会った頃と比べると由美との距離は格段に近づいていた。こんな事を聞いてもいいのかなって思うくらいのプライベートな会話も気にならない。住んでいる場所が違っても、いつも一緒、どこに居ても一緒だ。
「すーさん、鼻息が荒いよ。あっ、発情しかけてる。」「そんなことない、布団に潜ってるから酸欠なんだよ。」「危ない、危ない。はい、今日はおしまい。また今度ね。おやすみ〜。」突然、おやすみコールが切れる。
我慢して眠りにつくのだが、案の定目が覚める。悶々とした夜がしばらく続いた、とある夜の午前3時頃、思い切って携帯を鳴らした。思いがけず2〜3回のコールで繋がった。
「・・・。」 返事がない。年増のいかない女性の携帯を、こともあろうか真夜中に鳴らしたのだ。何の用かは容易に想像がつくはずだ。「由美〜、寝れないよ〜。」「・・・。」聞こえてはいるはずだが、返事はない。「由美〜。」「・・・・」「由美の部屋に飛んで行っていいかな。」「・・・。」「由美と一緒に寝たいよ。」「・・・・」「・・・・」「うん。」
長い沈黙が続いた後、小さな声ではあったが、確かにうなずいた。
2003年1月、こんばんはメールから1年半、この年の正月休みは様子が違った。以前なら、長期連休で思うように会えなくても、少し声が聞ければ、生活の変化は気にならなかったが、この頃からは違った。
まったく声が聞けないわけではない。短い時間ではあるが聞ける。おやすみメールや“今なら電話していいメール”もある。
それでも、いつも明るい声で癒してくれる由美が手元から離れて、どこか遠くへ行ってしまうような気がするのだ。毎日がモヤモヤした気持ちの中で、正月休み終わる。
突然、けたたましくメールの着信が鳴った。「すーさん! 賑やかに夕食していたのに、一人はやっぱり食欲なくなるね。でも、直ぐ慣れてくると思うけど・・・楽しみだった冬休みもあっという間だったね。
でも、今年はすーさんが由美の為に散歩に出たりして、逢いに来てくれたから、とっても嬉しかったよ。由美だけに甘えてくれるすーさん、お体を大切にして、いつまでも明るく元気で、ゆみの傍にいてね。」素早く携帯をとって鳴らした。
毎日同じことの繰り返しだが、話題が尽きることはない。いつも由美の声が聞けるわけではないので、仕事の合間にふと由美を思い出しては、“忘れてないメール”を送った。
それでも、時々不安がよぎる。電話が繋がらなかったら、由美の声が聞けない。突然、交通事故に合うこともある。病気になることもある。声が聞けないだけで、きっと気になって寝られない。不安が募るばかりだ。
とある夜、由美に聞いてみた。「そうねえ。何か約束事を作らないといけないね〜。」若い女性では当たり前のことだが、由美のガードは非常に固く、不審な人からの電話には絶対でない。
「携帯が突然使えなくなったら、公衆電話からかけるからね。絶対持たないと思うよ。それとなく分かるように工夫するからね。」「それじゃ、由美もそうする。」
由美も私もよく風邪を引いた。体の作りが違うのか、由美の方はひどくならないが、私の方は高熱がでてよく寝込んだ。布団に包まって2〜3日床に伏したこともある。少し良くなったかなったかと思うと、治りきっていないのに、ジムに行って汗をかく。だから、熱がぶり返したり、咳だけが残って長引くのだ。いつも子供を諭すように言われた。
「すーさんは、すぐ風邪を引くから気をつけてよ。絶対風邪を引いて寝込んでは駄目よ。そうなったらお預けだからね。すーさん困るでしょ。」いつも勧められたのがジキニンだ。
以前は風邪を引いたら、近くの薬局へ走って錠剤の風邪薬や咳止めを買っていた。一時的に良くはなるのだが、胃をやられていつも調子を崩していた。
「初期の風邪ならジキニンを飲んだら、あっという間よ。子供用だけど、大人は一本ぐいっと飲んだらいいのよ。」
確かに胃にはやさしいし、昼も夜もよく眠れる。汗もどっとでて治りも早い。時々、強気な由美の体にもひどい風邪が襲った。
仕事への責任感が強い上に、栄養士という仕事柄簡単には休めない。私以上にひどく床に伏せたことがある。仲の良い友達が様子を見に来て、親切にもおかゆを作ってくれる。日頃の友達つき合いの良さを垣間見た。
20代で打ち込んだ素人サッカーでは、職場の仲間や伝手を頼ってかき集めたメンバーで、早朝練習と練習試合に耐えた努力が実を結び、豊田市の下部リーグからトップリーグまで駆け上がった。
30代では集団競技に見切りをつけ、自分の努力で勝敗が決まる10キロ走、ハーフマラソン、フルマラソン、最後にはトライアスロンといった個人競技に明け暮れた。
40代では転勤を命じられ、職場が名古屋支社に変わり、スポーツを楽しむ余裕が無くなった。英会話という知的格闘技に興味を持ち始めたこともあり、スポーツから足が遠のいていた。そんな頃に知り合ったのが由美、何とも不思議な巡り合わせだ。声を聞くだけで力が湧いてくる。何かに挑戦したいという血が騒ぎ始めた。
輪行&ツーリング、一度は挑戦してみたい全国一周、夢は大きい方がいい。使い古した宮田のロードレーサーを引っ張り出して磨き始めた。手始めは松本から上高地経由の高山に抜ける山越え、初めての挑戦にしてはいささか無謀だ。
松本駅のロータリーでは、輪行袋を解いて自転車を組み立てている若者、自転車でリヤカーを引っぱって、美ヶ原までいくという猛者もいる。皆若い、朱に交われは赤くなるというが、私も気だけは青春だ。出発の前に、2ケ月前に出会ったばかりの由美にメールを入れる。
「いまから山越えしてくるね。」しばらくすると、返事がきた。「気をつけてね。頑張ってね。」何処からともなく力が湧いてくるから不思議だ。松本からいったん南下し、諏訪湖を一周した後再度北上し、松本から上高地、平湯を経由し、高山を目指した。その後は体力次第だ。
松本駅から国道19、20号をひた走って、夕方には諏訪湖畔の七ツ釜源泉に着いた。由美にメールを入れる。しばらくすると着信が鳴る。
「暑い中よく頑張ったね。」それだけでウキウキした気分になるから不思議だ。早速野営できることころを探した。幸いなことに、目と鼻の先に綺麗な芝を敷き詰めた小公園があり、水道もトイレがある。
隣には立派な公衆浴場もある。だが、ラッキーなことは長くは続かない。浴場で汗を流しスッキリした後で、食堂で一杯ひっかけいい気分に浸っていた矢先、いざ寝ようとする頃になると、様子が一変する。
この日は花火大会があった。ホテルの客であろうか、家族連れが花火を打ち上げに興じて、夜遅くまでわいわいガヤガヤ喧しい。すぐ前の湖畔沿いの道を暴走族が数珠つなぎで、エンジンを空吹かししながらノロノロと進む。
極めつけは若いカップルだ。真夜中を過ぎると、何処からともなく若いカップルが集まってきて、イチャイチャし始める。ここは愛を語るメッカなのか、ホットで眠れない一夜となった。
トンネルの中は真っ暗な上に歩道もなく、傾斜も急で荒れている。安心安全が第一、少し前のバス停まで引き返し、乗り合いバスに飛び乗った。その日は新穂高などの大自然に感動し、ロッジに一泊することにした。
上高地から高山に抜ける国道361号は大自然のパノラマにいたく感動する。安房、平湯の峠越えは過酷を極めた。人力では無理と即断し、愛車を輪行袋に詰める。峠を越えれば下り坂だ。高山までの延々と続くダウンヒルを心行くまで味わった。
その足で一気に高山から下呂までの国道41号を駆け抜けた。自分ながら年を考えることも無く、大それたことをしたと思う。由美のメールでどれだけ励まされたことか。
宮田のロードレーサーを輪行袋に詰めて、朝8時頃、実家のある刈谷駅から米原行の普通列車に飛び乗って、琵琶湖東岸の草津駅に向かった。駅前で輪行袋を解いて、愛車を組み立てていると、女子高生や小学生が物珍しそうにチラチラ見ながら、急ぎ早に脇を通り過ぎていく。年甲斐もなく恥ずかしさを覚えたが、乗りかかった船だ。いざ出陣、東回りで適当な野営地が見つかるまでペダルを回した。出発前のメールは忘れない。
「いまから琵琶湖を一周してくるね。」しばらくすると、着信がなる。「脱水症にならないよう、水を一杯飲んでね〜。気をつけてね。」それだけで力が湧いてくる。
向かい風ではあるが、湖畔沿いの道は快適だ。琵琶湖大橋を左手に見ながら、さざなみ街道をひた走る。途中、大学生らしき若者に会うと、「僕は夕方までには、一周して帰る予定です。」と自信ありげだ。さすが、鍛えられたサイクリストは違う。
肌が焼付くとはこのことか、ペットボトルの水で喉の渇きを癒しながらひたすら進むのだが、30分もすると汗が吹き出てくる。それでも気分は爽快だ。その日は宮ヶ浜の海水浴場に野営した。綺麗な砂浜でシャワーもトイレもある。幸いなことに人気がない。早速パンツ一丁になって、シャワーを浴びた。汗臭い身体がスッキリした後、近くのホテルで夕食をかねてビールを味わった。人汗かいて干からびた身体にビールは格別だ。
テントの中で一日の出来事に思いを馳せていると、無性に由美の声が聞きたくなり、思わず携帯を鳴らした。もうジャズダンスから帰っている頃だ。
「は〜い、すーさん。今どこにいるの。」「寂れた海水浴場にいるよ。ビール飲んでちょっといい気持ち。」「よかったね〜。おじさん狩りが流行っているから気をつけてね。また夜ね。」いつも明るく、心地よく癒される声だ。
「今日も応援しているからね。頑張ってね〜。」「由美がいるから、頑張れるよ。」心に偽りはない。「うれしい〜。」 やる気満々な気持ちで、次の目的地へ向かう。時折、涼がとれる海水浴場を探しては、目の保養をかねて腹ごしらえをする。
真昼の日差しの暑い中でずっと自転車をこいでいると、朝から晩まで、まったく小用を感じない。こんな経験は始めてだ。豊公園を過ぎて、竹生島を左手に見ながらペダルを回す。この日最大の難所の賤ヶ岳古戦場にさしかかると様子が一変した。
急な登り坂な上に道幅が狭く、長いトンネルがいくつも続く。夕日が落ちて辺りが薄暗くなりかかった頃、この日の野営地、近江白浜の海水浴場に着いた。
オートキャンップ場を併設しているためか、浜辺は家族連れ、若者でごった返している。
テントを半開きにして、海を見ながら物思いに耽っていた時、重大なことに気づいた。命綱である携帯の電池がショート寸前だ。急いで海水浴場の入り口まで戻り、コンビニの外の電源を失敬して携帯を充電する。冷や汗タラタラ、間一髪とはこのことだ。
ビキニ姿の女性でいっぱいの屋台で空腹を満たすと、その日のネグラに潜り込んだ。夕食で引っかけたビールの酔いが、じわじわと効いてきた頃、由美の携帯を鳴らした。
「は〜い、すーさん元気だった?」「なんとか生きてる。海水浴場でキャンプしているから、ビキニのお姉ちゃんがいっぱいだよ。」「鼻の下伸ばして、でれ〜として見てるんじゃないの?」屈託のない明るい声に癒される。
「そりゃ、男だから見るわいね。」「由美がそこにいたら、すーさんどうする?」「どうするって、おっぱいやお尻見るよ。」「見てどうするの?」「言いにくいこと聞くね。きっと、触れたくなると思うよ。・・・。」「それから、どうするの?」「・・・。」
手早くテントを撤収し愛車に跨った。後は国道161号に沿って、ゆっくりゆっくり草津駅向けてペダルを回すだけでよい。時折、遠くに垣間見える海水浴場の白い砂浜の美しさに見とれて、遠回りとなるのを覚悟で道草をした。冷たい水で喉の渇きを癒していると着信が鳴った。
「すーさん、夜と朝二人でたくさんお話出来たね。二人で愛を確かめ合ったよ。自転車で走るすーさんの姿を想像してる。若くても、だらだらしてる人が多いのに、暑いなか頑張るすーさんが由美は 大好きだからネ。すーさんに教えられた事のひとつだよ。
今年の夏も色々あったけど、又、ふたりで思い出つくったね。ふたりでいつも一緒にいられたらゆみはしあわせ。これからもすーさんらしく溌剌としていて欲しい。ゆみがいつも傍で応援してるから。・・・ゆみもゆみらしく頑張るから応援してネ。すーさんが大好きなゆみより。」
2004年4月、由美に出会って3年目の春、由美の職場が国立医療センターから小学校に変わった。医療センターは歩いて行ける距離にあったが、小学校は歩いてはいけない。バスに変えると、今までより30分位通勤時間が延びる。
「すーさん、自転車で行くことにするよ。健康にも良いから・・。」「でも、雨降りは大変だよ。」「雨降りの時はバスを使うから大丈夫よ。」こうして、由美の自転車通勤が始まった。
由美の朝の身の回りの世話は比較的簡単で、メイクには時間が掛からない。メイクの必要が無いくらい色白で素肌が綺麗なのだ。とはいえ、女性なりの身支度があるので、以前のように眠りから覚めた直後の声を長くは聞けない。1〜2週間もすると生活のリズムも自然と落ち着いた。
毎朝、会社の駐車場に車を止めて一息つくと同時にメールを入れる。ワン切りが鳴る。すかさず由美の携帯を鳴らす。
「おはよう、今から小学校へ行くの?」「おはよう、そうよ。すーさん、聞こえるかな。クラクションいっぱい鳴らされるよ。」毎日、決まった時間に自転車を道路わきに止めて電話をしているので、脇を通る車から冷やかしが飛んでいた。
それでも、電話すれば必ず立ち止まって、「お仕事頑張ってね。」と激励してくれる由美、食べてしまいたいくらいに愛おしい。
丁度時を同じくして、私の仕事も国内から海外プロジェクトに変わり、多忙を極めるようになった。今までのように自由に由美の声が聞けなくなり、悶々としていたとある日、メールの着信がなった。
「すーさん、毎日遅くまでお仕事お疲れさま〜。二人の仕事に変化もあり、 今までのように昼間逢えなくなったけど、由美は 全然揺れないよ。声が聞きたいなって思う事は、いつも思うけど我慢できるから。
すーさんがいつも由美を優しく愛してくれた事、思いだしたりしているよ。三年の月日が二人をそうさせたよ。いろんな事の積み重ねで二人の結び付きが強くなったね。これからも由美を可愛がってね。拗ねたりしても由美を嫌いにならないでネ。」
2003年8月、また嫌な盆休みがやってきた。心身ともにリフレッシュできる楽しい時のはずだが、由美と出会ってからは妙に気が沈む。
由美は毎年実家に帰省する。たった一週間されど一週間。由美の声を聞きたい、由美を感じたい、そんな思いが募っても自由に会えない。気持ちも不安定で落ち着かない。実家に帰った由美は家族との触れ合いの中で、買い物、食事の手伝いと忙しい。時折ワン切りをくれる。
「いま、お母さんたちと買い物しているよ。すーさん、何していたの?」「由美を想って、考え事していたよ。」「嬉しい〜、英語頑張ってね。由美を忘れては嫌だよ。」「由美はしっかり親孝行してね。」「は〜い、ではまたね。」何とも不思議な気分だ。
たったこれだけでモヤモヤが晴れるのだ。由美は妹と床を並べて寝るので、夜は自由には携帯を鳴らせない。声が聞きたくなって我慢できない時には、妹が風呂に入っている時間を見計って、ワン切りやメールで探りを入れた。
「声を聞きたくなったよ。」「妹は風呂に入っているから、大丈夫よ。」「生活リズムが狂って何か変だよ。」「何が変よ。」「いろいろだよ。」「また変なこと考えているんじゃないの。」「由美を感じたいよ〜。」「だめ〜、じゃあまたね。」
由美は優しいだけでなく家族思いだ。厳格な父親と優しい母親から愛情をいっぱい注がれて、とても大事に育てられていた。祖父母に対しても思いやりに溢れていて、毎年両親と祖父母の様子伺いをする。祖父母は岡山と広島で人の世話にならずに暮らしている。
「す〜さん、いま新幹線で広島に向かっているよ。しばらく、会えないけど待ててね。」「元気でないよ。」「しばらく我慢してね」「・・・。」祖父母宅の滞在で由美の声をしっかり聞けない日が、2日、3日と長くなるにつれて、モヤモヤが募ってくる。憂鬱な気持ちが最高潮に達しかけていたとある夜10時頃、突然携帯が鳴った。
「す〜さん、元気出してね〜。」「由実に会えないと元気がでないよ。」「また、元気あげるから。朝ね。じゃあね。」短い会話で一瞬あっけにとられたが、由美の声が聞けたことに変わりない。自然と心がウキウキしてきて、その夜はコトンだ。
翌日夜明け前のうす暗い中、耳元に置いておいた携帯がけたたましく鳴った。そして直ぐに切れた。直ぐさま由美の携帯を鳴らした。
「いま、どこに居るの?」「車の中よ。みんなまだ寝ているよ。」嬉しさのあまり一瞬ことばを失った。朝に弱い由美がこんなに早く起きてくるとは信じられない。「とても愛しい。」こんな表現がぴったりだ。
「由美、・・・・。」上手い言葉を探したが見つからない。目の前にいたら思わず強く抱きしめていた。それでも気持ちは伝わったのか。「来て・・・。」蚊の泣くような声だ。「由美が・・・欲しい。」思わず口をついて出てしまった。
2005年6月、由美に出会って丸4年が経った。昨日までは底抜けに明るい声に癒されていたのだが、この日を境に連絡がピタッと止まった。毎日欠かさず、「おはよう。」、「ただいま。」、「おやすみ。」、少なくとも1日に3回は言葉を交わしていた。
それが何の前触れもなく、突然途絶えたのだ。メールしても電話しても返事がない。「どうしたのだろう。何かあったのかな。」1日目は何とか不安を拭い去って、いつものようにジム通いに精をだした。ジムが終われば、「今日はなにしたの?」「いつもと同じ。バイクと筋トレをばっちりしたよ。」「もう年なんだから無理しては駄目よ。」「由美こそ、胸が目立つんだから揺らさないでよ。」「そうね〜、おじさんはじーと見るのよね〜。」いつもこんな調子でため口を言い合っていたはずだ。
「交通事故かも。携帯をなくしたのかも。トラブルに巻き込まれたのかも。・・・」心配しだしたらキリがない。仕事で一息ついた後、ジムでひと汗かいた後、寝る前のひと時、由美を想うたびに携帯をちらちら見てはため息をついた。「もう会えないかも知れない。」音信不通が4日目となって、落胆から諦めに変わりつつあるとある日、ダメもとのメールを由美に送った。
するとどうだ、こちらの様子を伺っていたかのように瞬時に携帯が鳴った。底抜けに明るい聞きなれた声だ。「すーさん、お疲れ〜。」「おたんちん!! もう、すっごく心配していたんだから。おたんちん!!」この時ばかりは嫌味も許された。
「ごめんなさい。バイト中に貧血で倒れてしまったの。今までずっと入院していたよ。」「え〜、ごっつい心配していたよ。病院の部屋では携帯禁止だからね。」「そうなのよ。でも、もう大丈夫よ。」「よかったよ。煮えたぎったお湯の中に倒れ込まなくてね。」「それは無いけど、心配してくれて、ありがとう。」終わりよければ万事よし。
2003年8月盆休み明け、アメリカとカナダへ10日間の海外出張が課せられた。私が企画・開発を担当した生産管理の新基幹システムを北米に導入するために、各工場のトップやマネジャーに企画内容をプレゼンし承認を得ることが使命だ。
出張の準備は過酷を極めた。連日連夜のストレスの溜る会議や打ち合わせ、パソコンの酷使による目の疲れ、首や肩の凝りで夜もスッキリ眠れない、身も心もボロボロになりかけていた。なんとか無事に業務を遂行できたのは、由美の支えがあったからに他ならない。仕事の事では滅多に愚痴を言わない自分が、唯一由美には弱みを見せた。
出張の日が近づいてくるにつれ、しばらく会えないという不安からか、由美を目いっぱい感じておきたい、心に留めておきたい欲求が強まって、おやすみコールの時間が増えた。
「もう直ぐ出発ね。10日間って長いわね。」「メチャクチャ長いよ。耐えられるかな。」「鬼が居なくなって清々するんじゃないの。」いつもなら、当たり前のように溜め口が飛んでくるのだが、この夜は様子が違った。
「す〜さん。」この一言で体に火がついた。鼻息が荒くなって、声が声にならない。「由美〜、寝むれそうにないよ。モヤモヤしてる。我慢できない。う〜ん。」「・・・」「由美が欲しい。・・・」「すーさん、・・・来て。」
翌日、布団の中でまどろんでいると、耳元でメールの着信がけたたましくなった。
すーさんの気持ちもとっても伝わってきて、あんな風になっちゃったんだよ。 暫く思うように逢えないかも知れないという不安があるからだよね。すーさんがたまらなく好きなこの気持ちどうしようもないね#抑える事できない。・・すーさん 由美を信じてね。 ゆみからの大切なお願いだよ。W」
旅立ちはセントレアから始まる。空港へは2時頃に着いて、慌ただしく由美の携帯を鳴らした。「セントレアに着いたよ。」「頑張って来てね。大人しく待っているから。帰ったら一番先に連絡してね。」「約束するよ。じゃあ、行ってきます。」「気をつけてね〜。行ってらっしゃい。」出国手続きを済ませた後も、ラウンジからロングメールを飛ばした。
「由美って、すっごく甘えん坊だね。とっても可愛かったよ。いっぱい感じたから何とか持ちそう。ありがとう。」「恥ずかしい。・・・、早く行ってきなさい。じゃあね。」
打切システムを工場に導入するために、現地スタッフにシステムの操作方法を教えることが使命だ。男なら一度は行って、思う存分羽目を外してみたい常夏の楽園、時差もわずかで夜も少しは眠れそうで、北米のような緊張感はない。
旅立ちはいつも同じ、セントレアから始まる。空港には8時頃に着いた。いつものように由美の携帯を鳴らす。「今、セントレアに着いたよ。」「気をつけて行ってきてね。す〜さん、変なことしては駄目よ。」「由美こそ、鬼の居ぬ間は嫌だよ。」「何言ってんのよ。」いつもの由美節は健在だ。
ホテル住まいは快適だ。出張先への行き帰りは送迎がついている上、日当がついているので、晩ごはんは結構豪華に飲み食いできる。滞在中は、「おはようメール」と「終わったよコール」が日課となった。ホテルに戻るのは現地時間で7時、日本時間で9時、素早く携帯を鳴らす。由美は入浴を終えて、一息ついている頃だ。
「今から夕食に行ってくるね。」「は〜い、やんちゃしては駄目よ。いつ頃帰れるの?」「予定は未定だけど、早めに帰るようにするよ。」「待っているからね〜。」この最後の一言で遊びに行けないのだが、全く苦にはならない。寝る前にもう一度まったりと世間話をする方が心身共に癒されるのだ。
「もう、おやすみの準備できたの?」「パックも終えて、後は寝るだけよ。」「晩ごはんは何食べたの?」「日本食だよ。」「海外に来ても声聞けるって良いね。」「す〜さん、よかったね。」交わす言葉は他愛ないものだが、声を聞かないと一日が気持ちよく終わらない。
「由美、・・・・う〜ん〜。」「なに甘えているのよ。明日も早いんでしょ。早く寝なさい。」「早く帰ったご褒美はないの?」「なに言ってんのよ。おやすみ〜」「もう〜」「もうもうは牛よ、おやすみ〜。」こんな調子だが、それでも癒されるのだから不思議だ。
現地のトップに企画内容を説明し承認を得た上で、現地スタッフにシステムの操作方法を教えることが使命だ。英語しか話せない、しかもなまりの強い英語で骨の折れる環境にどっぷり浸かった。
滞在したダーバンは犯罪が多く、日本人が巻き込まれたトラブルも多いと聞いた。夕食を兼ねたカジノ通いが唯一の息抜きとなり、帰り道の車窓から見える夜の街角には立ちん坊が目に付いた。日本との時差は7時間、由美にメールを送っても返事は直ぐには届かない。
自由に由美の声を聞くこともできない。由美を感じられない生活が何と味気ないものか、もし由美がいなくなったら、ずっと連絡が取れなくなったらどうなるのだろう。想像するだけで不安な気持ちになってくる自分に気づいていた。そんな気持ちを打ち消すために、由美が帰っている頃を見計って、由美の携帯を鳴らした。
「由美〜、聞こえるかな、す〜さんだよ、由美の声が聞けないと元気が出ないよ。」「うまいこと言って〜〜、でも、すっごく嬉しい。お仕事頑張ってね。」「土日が来たら、いっぱい声聞きたいから待っていてね。」「は〜い、鬼の居ぬ間はないから安心してね。」「ではまたね。」「は〜い。」聞こえる声は途切れがちであったが、それでも心が十分癒された。
其々10日程度の短い滞在で、出張先は香港の近くの広州、街並みがとても明るく開放的だ。使命は南アフリカと同じだ。中国人スタッフは英語よりも日本語が堪能で、何事にもやる気満々というのが嬉しい。
夜の街へ繰り出しても身に不安を感ずることはない。夕食は居酒屋風の洒落た日本食レストランで腹を満たしては、時折帰り際には中国式マッサージで一日の疲れを癒した。日本でも中国式を経験しているが、さすが本場仕込みは違った。日本との時差は2時間、いつでも由美を感じる事ができるので、モヤモヤした気持ちとは無縁だ。朝一番でおはようメールを飛ばし、仕事の終わる5時には、ホテル行のバスが出るまで由美の声を聞く。
「由美、いま仕事終わったよ。」「お疲れ〜。」「今からバスでホテルに向かうからね。」「どれ位かかるの?」「1時間くらいだよ。帰ったら連絡するから。」「は〜い、ではまたね。」それだけのことだがとても癒される。ホテルで外出の身支度を終えて、もう一度由美の声を聞く。
「今から夕食に行って来るからね。」「は〜い、何時に帰るの?」「8時か、半頃かな。」遊びに行く気は毛頭ないのだが、寝る前にもう一度おやすみの言葉を交わすことができる、足取りが軽くなるのは言うまでもない。ベッドに潜り込んで由美の声を聞くことが一日の締めとなった。
「もう肌の手入れはすんだの?」「バッチリよ。準備OKよ。」「アレは?」「何言ってんのよ。早く寝なさい。」「もう〜。」「もうもうばっかりね。朝は早いんでしょ。おやすみ〜。」「おやすみ。」こんな調子で一日が終わった。
毎日飽きもせずそんなに話すことがあるのか、知らない人が聞いたら不思議に思うに違いない。大半はとり止めのない会話だが、声を聞くだけで何かしら癒される表現しがたいもの、それを感じたくて毎晩携帯を鳴らした。
眠りに入る前のまったりとした会話の中で、心安らぐ時を過ごした。
「すーさんの子供の頃って、どんな風だったの?」「幼稚園の頃は自分でも信じられないほど、腕白だったらしいよ。なにか悪さをしたのか大きな木に縛りつけられた記憶が残ってる。」「そうなの、由美はね、赤ん坊のころは殆ど手がかからなくて、いつもすやすや寝てばかりいたらしいよ。」「寝る子は良く育つっていうよね。だから、由美は甘えん坊で優しいのだよ。」「大事に育てられたからね。
父は厳格だけど、お母さんは優しくて綺麗だよ。す〜さんも会ったらコロンかもよ。」「そんな両親から由美が育って、こうして話ができるのだから感謝しないとね。」「小学校ではマラソンでビリになったけど、最後まで頑張ったよ。」「え〜、偶然だね、す〜さんも中学校の運動会の1500M走でビリになったよ。途中で腹がいたくなってね、まあ、それは言い訳だけどね。でも、高校の時は300人中14番だったよ。」「すご〜い。」
「す〜さんの初恋は小学校6年生の時だよ。でも、口を聞いたことも無かった。」「由美はそんな気持ちはなかったよ。」「中学校ではね、ラブレターを書いたら返事が来たよ。やったって感じ。でも、直ぐ卒業が来て離れ離れになってしまったよ。」「す〜さん、ずいぶん積極的だったのね。」「そりゃ、一応男だからね。」
「由美はね、大学時代に付き合っていた人がいたよ。文化祭で知り合って、出身が同じだったから暫く付き合ったけど、独占欲が強かったから別れたよ。」「そりゃそうだよね、20代前半だったら遊びたい盛りだもんね。」「でもないけど、ネチネチしたのは嫌だよ。」
「すーさんはね、高校3年の時に1年生の子に告白したよ。部活が終わって学校から駅までがデートコースだったよ。」「す〜さん、意外とやるのね。キスはしたの?」「答え難いこと聞くね。そちらの方は初心だったからからっきしだよ。手も握ったことないよ。」「嘘言って〜。」
「由美はね、すーさんが名古屋の近く住んでいなかったら、きっとこんな風にはならなかったと思うよ。」「大学生活が余ほど楽しかったんだろうね。」「そうよ。一生懸命勉強したよ。寮生活も楽しかった、栄にもよく行ったよ。豊橋、知立、岐阜にも行ったことあるよ。伊良湖へも行ったよ。楽しかった〜。」
「そうか、栄が由美のテリトリーだったんだね。」「だったら、ナンパもいっぱいされたね。」「でも、みなNGよ、ついていくほど馬鹿じゃないわよ。」
「すーさんの時代はね、好きな女性がいて付き合い始めたら、初めから結婚を前提としていたよ。」「今の若い世代は違うわよ。付き合ってる人がいても、友達としてなら男性とも遊んだりするわよ。」
「らしいね。ヤフーの人生相談見ているとそんな感じだね。でも、それって自分が恋愛していると思っているだけで、本物じゃないと思うよ。」「すーさんは考え方が古いのよ。」「由美の考えは変だよ。本当に人を好きになったら、他の異性と遊びに行く気にはならないと思うよ。職場の仲間や気心の知れた友達とグループで遊びに行くことはあっても、1対1は考えられないよ。」
「すーさんは古いわよ、時代が違うのよ。今は小さい頃から男女の垣根を越えて育ってきているから、男女差はあまり気にしないのよ。」
出会った頃は泣き虫だった由美がこんなにも熱く語る、お互いの時代観が違うので、結論が出ることはないのだが、由美の意地っ張りの真骨頂を見た気がする。何か内に秘められた芯の強さというのか、新たな魅力を垣間見た。
「男の人って感じてきたらどうなるの。」「男はいたって単純だから、気持ちよくなってきて、イクって感じがしたらアッという間に終わってしまうよ。」「女性と違うのよね。」「由美は感じてきたらどんな風になるの? 女性が本当に感じたら、男性とは比べ物にならないと聞くけどね。」
「頭の中が真白になって、体がふわ〜となって、お腹がきゅうきゅうとなる感じがするのよね。」「感じやすいんだね。」「何言っているのよ。恥ずかしいよ〜。」「男性は単純だからね。でも、女性は心底心が許せる人でないと感じないらしいよ。」
「そりゃそうよ〜、普通の女性なら相手を選ぶわよ。す〜さん良く知っているね。まだ、奥さんとエッチしているのよね。由美とおやすみしたら一丁上がりなんじゃないの。」「そんなことはないよ。」「ほ〜らね、言い訳して、そんな事ないよって言い方は、まだしているってことよ、プンプン。」
「好きな人ができたら、そちらにとっておくんだよ。だから今はないの〜。」「何をとっておくのよ。す〜さんの今は誰なのよ。」「由美だよ。」「由美が最後の女性ってこと?上手いこと言って〜。」「信じて貰えないと思うけどね。」
この頃の由美は女性としても女としても、驚くばかりの変わりようだ。出会った頃の泣き虫が何のためらいもなく、ふた回りも違う自分と対等に話をする。それだけでも驚くべきことだが、女としてもさなぎが蝶に変わってきている。小刻みに吐く息が、「うっ、うっ」と何かを押し殺す声に変わり、「アッ、アッ」と断続的な叫び声に変わっていく。
最後のひと際大きな叫びの後に、「ハア〜、ハア〜、ハア〜」と苦しげに小さな体を震わせていた。
夏の寝苦しい夜は、男と女の明け透けな会話で癒された。面白いテレビをやっていると聞いて、二人で一緒に大笑い、「今日は腰が痛いのよね。」「何で腰が痛いのよ。変なことして使い過ぎなんじゃないの。」
「何言ってんのよ、ダンスのし過ぎなのよ。」「腰もんであげようか。すーさんマッサージは得意だよ。」「いいわよ。す〜さんの手はすぐ下の方に伸びて来るんだから。」いつも、こんな調子だ。
「今はどんな服着てるの。」「ミッキーの絵柄がついたパジャマよ。」「窓を閉め切って寝ていたら暑いんじゃないの。」「扇風機バンバンよ。エアコンは体に良くないからあまり使わないのよ。我慢できない時だけつけるのよ。」「ふ〜ん。そんな日もミッキーなの。」
「真夏はキャミソールにパンティよ。すーさん、キャミソール知らないわよね。おじさんだもんね。透け透けよ。すーさん鼻の下がデレ〜となるよ。」「ブラはつけないの。」「もちろんノーブラよ。お椀型でマシマロみたいに柔らかいよ。すーさんなんかイチコロで、あっという間よ。」
「今日の下着の色はなんなの。」「今日はピンクよ。」「Tバックはどうなのよ。」「パンツの時は履くよ。常識よ〜。」「へえ〜、女性の大切なところに食い込むじゃないの。」「少しはね。す〜さん、また変なこと想像しているのよね〜。おじさんはじ〜と見るのよね。」「ということは、いつも視線を感じているってことだね。もう、ぷんぷん。」
「何言っているのよ。すーさん、もう時間よ。朝は早いんでしょ。」「由美と話をするとあっという間だね。じゃそろそろ寝ようか。一緒に寝ていい?」「何寝ぼけたこと言っているのよ。おじさんは早く寝なさい。おやすみ〜。」「じゃまたね、おやすみ。」いつも、こんな調子で眠りについた。
「おやすみ〜」普段はいつも私からちょっかいを出すのだが、おやすみメールだけは別格だ。毎晩10時ころになると着信が鳴る。友達との飲み会や職場の忘年会・新年会で帰りが遅くなったときも、おやすみメールだけは気を配ってくれた。この後のとり止めのない会話、どんな些細な日常の出来事や夢見事であっても、由美の声を聞くだけで心も体も癒される。
「すーさん、お腹がチクチク痛いよ。」「どこが痛いのかな。」「お腹よ〜、女性は大変なのよ。この煩わしさは男性には分からないのよね。」「そっか、撫で撫でしてあげようか。」「変なことしないでよ。すーさん、直ぐ手が伸びて変なとこ触るんだから。」いつもこんな調子だ。
「すーさん、秋には紅葉が綺麗なところに行ってみたいと思わない。」「いいね、いいね〜。でも、由美と行ったら欲しくなってしまうよ。絶対男と女の関係になってしまうよ。由美を抱いてしまうよ。」
「そうね、そんな風になるかもね。人里離れた隠れ宿なんかがいいな。」「嵐山なんて最高、ロマンチックだよ。」想像が膨らむばかりだ。「だったら、いいとこ探して行こうか。」なんて、本気になったら、「す〜さん、可愛い。冗談よ〜、冗談。す〜さんったら、直ぐ本気になって。」そんな風に一笑されるに違いない。
「いいこと思いついたよ。これからすーさんのことパパって呼ぶね。」「え〜、ギャルと不倫しているオヤジみたいだよ。」「パパ〜ん。」「ゆみ〜。」「パパ〜ん。」「いい感じ。由美〜、ちょっとお尻触りたくなってきたよ〜。」「・・・」なんとも大人気ない会話で恥ずかしい。
12.間違いメール・・・もう会えないかもしれない。
由美から空メールが返ってきた。普段なら、おはようメールの後には携帯が鳴るはずだ。迷惑メールでもあるまい。何故だろうと不思議に思いながら、昨夜の出来事を思い返してみた。
飲み屋のおねえちゃんからまた来てメールが届いたことまでは覚えているのだが、その後のことはトント記憶が曖昧だ。うすら薄ら記憶をひも解いていくと昨夜の送信メールにたどり着いた。
「英語のカラオケ良かったよ。ありがとう。」おねえちゃんへ送るはずのメールを由美に送っていた。嘘をついていたと誤解をされるに違いない。
出会ってしばらくした頃、聞かれたことがある。
「誰かとメールしていないの?」「いないよ。おやじ会の都合を確認したったりするときくらいかな。」そんな風に答えた記憶がある。もちろん嘘偽りはないのだが、疑いだせばキリがない。
「一丁上がりにした後で、いつもイチャイチャしてたんじゃないの? 懇意にしている若い女性がいるんじゃないの? どうして連絡先を教えたのよ?」答えは簡単だ。
そのころは英語にリズム感をつけたくて、本場仕込みの英語に触れる機会を求めていた。フィリピンパブに行ったのは、その日が初めてだ。
それでも疑問は残った。軽いと言われたら申し開きできないが、おねえちゃんから携帯持っているって聞かれて、見せた記憶がある。「ラッキー、ソフトバンクだ。」と言っていたから、この時にゲットされたのであろう。
私を問いただす言葉が妙に落ち着ちついていたのは、怒りを遥かに超えたかのようだ。
やましいことは何一つもないのだが、逆の立場に立って考えてみよう。由美が男友達に向けた同じようなメールを私に送ったとしたら、私と同じような軽い気持ちでも、相当ショックを受けていたであろう。
あんなに落ち着いた態度でいられた自信はまったくない。大好きな英会話を上達させるとはいえ、由美の物悲しそうな雰囲気を感じ取っても、なおかつ飲み屋に通い続けるほど馬鹿ではない。
2011年2月、前立腺がんを告知された。これから思う存分に英語道に邁進しようとした矢先のことだ。幸いなことに極初期で転移もないので、治療の選択肢は手術か放射線とのこと。直ぐにへたばることは無さそうだが、治療方法は自分で決めなければいけない。
治療法は陽子線、病院は静岡がんセンターを選んだ。癌治療では日本のトップクラスで、先進医療の陽子線が受けられる上、治療計画は院内のコンファランスを経て作成されるので心つよい。
2011年5月、6F東病棟に入院した。
早々に持ち物の整理を終えて由美にメールを入れる。「今日から治療が始まるよ。頑張るから、見守っていてね。」しばらくすると、由美から返事が届いた。「頑張ってね。大丈夫だからね。由美がついているからね。」
治療が始まる前に由美を感じることが出来て、どれだけ心が安らいだことか。治療期間は2ヶ月、治療時間は毎回午後一番の予約で、着替えや照射の位置合わせを含めて、10分弱で終わる。治療以外は時間の拘束はない。許可を得れば外出もできた。
2〜3日経つと一日のスケジュールが決まった。毎朝7時頃におはようメールを飛ばす。行ってきますメールの着信が鳴ったら、間を置かず由美の携帯をならし声を聞く。
それだけで一日中元気でいられるからなんと不思議なことか。自由時間は買い溜めしておいた英字新聞のバックナンバーを、休憩室や喫茶店で読みあさった。病室ではインターネットに接続できたので、隣人がいない時を見計って英語のチャットを楽しんだ。
夕暮れ時になると、遠くに見える山々や沼津港をぼんやり眺めて、時折気弱に戻る自分がいた。どんなに気丈に振る舞おうと、気晴らしをしようと、ここは紛れもない癌病棟なのだ。
夕方6時ころ、由美が仕事から帰ったことを知らせるただいまメールの着信が鳴る。声を聞きたい一心で、ナースセンターの前を伏し目がちに通って、一目散に休憩室に飛び込んで携帯を鳴らした。
「お疲れ〜。」「ただいま〜。」本当はもっと話がしたいのだが、食事作り,後片づけ、アイロンがけなど独り暮らしは身の回りの世話で大変なのだ。
「じゃあ、晩ごはんが終わったらもう一度電話するね。いいかな?」「は〜い、待っているからね。」いつ聞いても底抜けに明るい声に癒された。
7時ころ、再び看護師のいる前を通って休憩室に飛び込んで携帯を鳴らす。
「いま、ナースセンターの前を通ったら、心なしかニヤッとされたよ。分かるのかな。」「分かるわよ。女性は感が鋭いんだからね。毎日定期便のように行き来したら、女性ならピ〜ンと来るわよ。」「そっか。恥ずかしいね。でも、由美の声が聞きたいから。」「すーさんも大変ね〜。で、今日はどうだったの?」「由美がいてくれるから、寂しくもなんともないよ。」「それで、・・・」
時間が経つのは早い。20分くらいがアッという間だ。「もう一度声を聞いてから寝たいから、準備出来たら連絡してね。」「は〜い、分かってる〜。また後でね。」
9時半ころになると、1日の終わりを告げる着信が鳴る。由美からのおやすみメールだ。病室での携帯電話はご法度なのだが、いつも準備は万端だ。
隣人はいつもTVを見ているので、気づかれることはないはずだが、念には念を入れて、布団の中に潜り込んで由美の携帯を鳴らした。
「す〜さん、ハアハアしてる。どこから電話してるの?」「布団の中に潜ってる。」「え〜、病室の人に聞かれるわよ。」「大丈夫、でも酸欠状態だからすこし息苦しい。」「すーさん、いろいろ大変ね〜。」
由美が殊のほか気遣ってくれていることは分かっている。癌患者の自分が病棟で、こんなに明るく振る舞えるなんて、底抜けに明るい由美が傍に寄り添っていてくれるからに他ならない。
「すーさんは大丈夫よ、由美がついているから。」「由美〜、酸欠ではないけど、ハアハアしてきたよ。」「だめ〜、そんなに元気があるなら大丈夫よ。明日も治療頑張ってね。」「由美がいるから頑張れるよ。ありがとう。おやすみね。」「ぐっすり寝るのよ。おやすみ。」「じゃまたね。チューは?」「しばらくお預けよ。早く寝なさい。おやすみ〜。」
2ヶ月の闘病生活の中で、いろいろな人と出会った。
人生観も変わった。夕暮れ時に、遠くに見える沼津の街明かりを、ぼんやり眺めていた時に話しかけてきたおばあちゃん、「若い人は一番辛いけど、年を取った人も本当は長生きしたいんだよ。」
私が治療を終えるといつも心細そうに、一人ぽつんと順番待ちをしていたお姉さん、最後の治療を終えた別れ際に言われたことば、「私は脳腫瘍なので、記憶がどうなるか不安です。でも、鈴木さんの笑顔から元気を貰いました。」
不安の中で過ごす中で垣間見た人それぞれの人生模様、多いに考えさせられた。極めつけは由美の一言、
「万が一の時は、由美が骨を拾ってあげるから大丈夫。」
どんな会話の中で聞いたか記憶にないが、ここだけは殊のほか鮮明だ。ことばはキツイがどれだけ心に響いたことか、感謝に堪えない。由美がいたから頑張れた、心から伝えたい『ありがとう。今を精一杯生きる。』
10年間、いつも仕事が終わるころになると、ただいまメールをくれた由美、私の気持ちを温かく包んで、冗談交じりに上手く受け止めていてくれた。気が付いてみれば、意地っ張りではあったが、あの泣き虫の由美が一人前の口をきく、大人びた女性に変わっていた。
「最近はメールが減ったね。」と言うと、「忙しいのよ。いつまでもメールばかりしていられないわよ。」と返すことばが鋭くなった。嫉妬心や言葉尻をとらえた喧嘩も仲がいい証拠、楽しい思い出ばかりの10年、そんな中で由美が30歳を迎えた。
10年経った今でも、ジムを終えた後に交わす会話は相も変わらず話が尽きない。それでも、時折見せる意を決したような語りかけが心なしか増えた。
「す〜さん、・・・。」「す〜さん、・・・」名前を呼んだ後、しばらく言葉が続かない。
「す〜さん、何で迎えに来てくれないの?」「す〜さん、最近気になる人がいるの。」簡単には答えようのない問い掛けが頭をよぎる。「何かあったの?」「・・・、う〜ん、呼んでみただけ。」この時ばかりは一言多い小憎らしい由美ではなかった。由美の身の周りや心の中で変化があったことは容易に察しが付くのだが、それ以上は怖くて聞けない。
「一緒に居酒屋に行ったら、めちゃめちゃ絡むわよ。」心の奥底は読めるのだが、怖くて口には出せない。しばらくすると何も無かったかのように、また平穏な日々に戻るのだ。
出会った頃に良く言っていた。「クラブに行きたいな。すーさんの考えているような変なところじゃないわよ。ダンスするだけよ。昔と今は違うのよ。」反応を見ているのか本心なのか定かではない。
「あそこはナンパする場だよ。行ったら絶交!!」他の女性ならともかく、酔った男性の目には由美を触れさせたくはない。今はそれが素直な気持ちだ。意見が食い違って熱くなる時もあったが、しばらくすると何事もなかったようにただいまメールをくれた。
クリスマスイブはいつも一緒に過ごした。毎年、クリスマスが近づくにつれて、寝る前にふと考え込むことが、年を追うごとに増えた。「彼氏ができたら、会えないよな〜。今年は駄目かも、・・・。このままで、いいのか。」
まだ遅すぎることはないが、由美は30歳。いつか由美の姿が消える時を想像して、自問する寝苦しい日が徐々に増えた。今がどんなに楽しくても、目の前から消えていく日がいつか来る。必ずくる。絶対来る。
「早く鳥かごから解放しないと・・・」そんなことが出来るのか。苦しい。苦しくてとても言い出せない。
「すーさん、ただいま〜。」「お疲れ〜。」今までのようには会えないかも知れない。2012年4月、由美の職場が小学校から日立に変わった。数年前から時折聞いてはいたが、いざ現実になってみる不安が次から次へと頭の中を過ぎった。
由美の振る舞いも30歳を迎えた辺りから少しずつ変化が見られた。以前なら休みになると、「友達と岡山に行ってきます。」、「いま友達と一緒だよ。」「友達とタラスパ食べるから遅くなるからね。」そんなメールも少しずつ減ってきていた。
仕事で少しずつ責任のあることを任され、ストレスを感じるときもある。ましてや年ころの由美のこと、人間関係も複雑になってきているであろう。メールでチマチマしている年代は過ぎている。そんなことは百も承知しているのだが、自分の感情をうまく制御できないのだ。
三菱では小学校とは比べものにならないほど、いろいろな人の目に触れることになる。「製造業だから男性がいっぱいいる。嫌だな〜。」
そんな思いが胸に突き刺さる。その中のいくらかは由美にアプローチするに違いない。
食堂のバイトの時でさえ、特例で一人だけ名札をつけないでいいと言われている。「きっかけが何であれ、つき合いが始まってしまったら・・。一目惚れもあるかも知れない。ましてや、見知らぬ男が由美の体に触れて、・・・。」
そんなことを想像するだけで、胸が高鳴って息苦しくなってくる。小学校の時でさえ独り暮らしは大変なのだ。「もう少し時間に余裕があったらいいんだけどね〜。」
そんな中でも何とか時間を作ってくれてはいたが、三菱になれば通勤時間も長くなる。夜にはめっぽう弱い由美のこと、おやすめメールどころではないことは容易に想像できた。
三菱に変わって、オヤッと思うことがある。声を聞きたい一心でジムに通い、やっと話ができて言葉を交わし始めた途端に、「もう時間だよ。はい、今日はおしまい。」
早起きが大変なことは十分想像できた。仕事を終えてバスに揺られて、7時ころに家に着くには並大抵のことではない。出会った頃の激しさはないが、長年染みついた生活リズムの中で、この時間が欠けていくというのは、由美の声を聞く時間がなし崩し的に減っていき、どこか手の届かないところへ行ってしまう気がするのだ。
「はい、もうおしまい。」この一言はとても強烈で奥が深い。気配りのできる由美のこと、私の帰宅時間を気にしてくれていたのかも知れない。時間に余裕がなく毎日がアップアップだったのかも知れない。
ひょっとしたら付き合っている彼がいて、この後の約束があったのかも知れない。
モヤモヤした気持ちが膨らんで、思わず逆手をとって話早にしようものなら、感性の豊かな由美のこと、「そうね、そうね、誰かさんが待っているのよね。」「そんなことないよ。」「そんなことある。早く帰りたいんでしょ。」
意気消沈して帰る道すがら着信が鳴った。「すーさんの大切な人は由美じゃない!」
携帯を切ってしばらくすると、また着信が入る。今までにこんなことは無かった。夜遅く、「目が覚めて寝られないから、寝かして。・・」っていう由美、こんなことも無かった。
何かが起こっている、男女関係で、心が揺れていることが容易に想像できた。
2012年8月、由美が楽しみにしていた夏休み。毎年帰省するときには、必ず行ってきますメールが届いた。この夏も同じだ。
ところがおやすみメールは違った。いつもなら実家に帰っても、おやすみメールの着信が鳴って、ひとこと二言言葉を交わしてから、夜のとばりに包まれるのだが、この夏は違った。おやすみメールが2〜3日途絶えたのだ。
たかが数日のことだが、10年以上も毎日余程の事がなければ途絶えたことはなかった。「どうしたの。何かあったの?」そんなことは恐ろしくて口に出せない。
悶々とした日がつづく。三菱に転勤となって以来、恐れていたことが現実となった。誰か特定の男性とのつき合いが始まったに違いない。この年はお盆休みだけではなく、9月にも土日を利用して帰省した。
由美の身の回りで起きている変化を気にしだすと、不安が次から次へと止めどもなく襲ってくる。出会った頃に由美が聴いていて、この歌良いよって教えて貰った浜崎あゆの“Love〜Destiny〜”が頭の中をよぎった。
『ねぇほんとは永遠なんてないことを私はいつからか、気付いていたんだろう
ねぇそれでも二人で過ごした日々は、ウソじゃなかったこと誰より誇れる
生きてきた時間の長さは、少しだけ違うけれども
ただ出会えたことに、ただ愛しことに想い合えなくても
La La La La......忘れない
ねぇどうして、こんなにも苦しいのに貴方じゃなきゃだめで、傍にいたいんだろう
ねえそれでも、ほんのささやかな事を幸せに思える自分になれた
ありふれた言葉でも、ふたりで交わすなら意味を持つから
ただ出会えたことでただ愛したことで、想い合えたことで
これからも...、 真実と現実の全てから目を反らさずに生きて行く証にすればいい
ただ出会えたことを、ただ愛したたことを、二度と逢えなくても
La La La La...わすれない』
9月の帰省は、これまでとは大きく違った。
毎年、両親にアパートに送ってもらって帰宅すると、直ぐメールの着信が鳴った。ただいまメールだ。「すーさん、ただいま。今帰ったよ〜。」今年はどうだ、妙に沈み込んでいる。
「今日はとても疲れているから、すぐ寝るから。」想像が確信に変わった。次から次ぎへと不安と妄想、いやもう妄想ではない、明らかに現実のできごとだ。
毎日が不安で憂鬱でやりきれない日が続く。とある夜のおやすみタイムに意を決し聞いてみた。
「好きな人ができたの?」一瞬沈黙が続いた後、「・・・、うん。」弱弱しく、とても細い声ではあったが、確かにうなずいた。
由美に好きな人がいる。この一言が頭に焼付いて離れない。
この日から悶々とした日が続いた。毎晩天井の板の木目をぼんやり見ながら、由美の言葉を振り帰る。
遊び友達と思っていた人からの告白、ジムの帰りを待っていた追っかけ、バイト先の店長の執拗なアプローチ、小学校の先生とのデート、「由美って、男性から見ると軽い女に見えるのかな〜。」、「連絡先なんて、簡単には教えないわよ。」「同じ職場の人だからいろいろあってね〜、でも、由美のタイプじゃないから大丈夫よ。」
それらしい彼の影は微塵も感じ取れなかったが、ただ一度だけ、冗談っぽく言っていた。35歳までフリーだったら、結婚しようかって言ってくれる人もいるわよ。
その時は気にも留めかったが、ひょっとしたらその男性が彼かも知れない。毎日が憂鬱で気持ちが萎えてばかりだ。
「やっと肩の荷が下りた。」そんな思いも過ぎるが長くは続かない。
「本当は前からバイバイしたいのに、由美は優しいからね。でも嫌なら嫌と言うのが男と女の作法だよ。良い出会いがあって 信頼できる人だったら嬉しい。最後の女性 甘えん坊で意地っ張りの由美へ」
しばらく間があったが、とある夜由美から着信が入った。「すーさん、大丈夫よ。」私が気落ちしないよう気遣ってくれたのであろう。顔で笑って心で泣いて、由美の幸せを祈って、がんばれメールを送った。
「恋愛の自立にむけて、カゴから飛び立ったのだから応援しないとね。でも余りにも急な出来事だから、もともと知っていた人なのかな。」こんな話をするだけで精一杯だ。「ありがとう。」
「年下ではないよ〜。」「日立の人じゃないわよ〜。」返事はいつも由美らしく明るい。回数は減ったが、今もおやすみメールで夜のとばりに包まれる。着信するメールで一喜一憂する姿は変わらない。
「夜遅くなるけど、連絡するからね」あ〜あ、今夜はデートに違いない。「文句いわないの。」ああ言えばこういう強がりは今も健在だ。「大丈夫よ。」気になる人がいるのに、大丈夫とは・・・。
「おはよう。昨夜は由美の声をたくさん聞いたからコトンだよ。そろそろ日立に着いて白衣に着替える頃だね一枚羽織ってよ。おっぱい目立つんだから。由美らしく頑張ってね。」他愛のないメールを交換し合いながら、また一年が過ぎた。
「デートしたの?」「・・・、うん。」言葉が続かない。前々から気になっていた一言、振り絞るように聞いてみた。「どうして知り合ったの?」「長い間、ず〜と由美を待っていてくれていたの、・・・、だから・・・。」「その内に電話できなくなるかもね。」「・・・、うん。」「メールも駄目かもね。」「・・・、なんで?」
支離滅裂、頭の中が真っ白で、この後何を話したか覚えていない。かなり気を許せる間柄に違いない。昨年からの胸騒ぎが現実のものとなった。
「昨夜はありがとう。今どきそんなに長く待っていてくれる人はいないよ。昼も夜も由美がリードする人だね。紆余曲折があっても、最後にたどり着いた彼だから、由美の愛でしっかり包んであげてね。大切にして貰ってね。よかったね。」
「鼻ちょうちんで寝てる?」職場からのメールは格別に嬉しい。「ルヒカの独り言花聴いてみて。今、マイブームの曲よ。」また、カラオケのレパートリーが増えた。
飲み屋通いも増えた。「あんまり飲んだら駄目!!」これが飲まずにいられるか。こんなメールのやり取りがいつまでも続くはずがない。
いい人とのいい出会いは大切にしたいから、「さようなら」は言わない。今はただ、由美の幸せを祈るばかりだ。長い間ありがとう。本当にありがとう。
あとがき
「すーさん、これ聴いてみて。」 由美と触れ合う中で、さりげなく想いを伝えてくれて、私がよく心の中で口ずさんだ甘く切ない曲である。
熱くあつく燃えていた由美・・・「PRIDE」、
悩み苦しんでいた由美・・・「LOVE〜Destiny」、
弱音を吐いていた由美・・・「伝えたいことば」
物思いにふけっていた由美・・・「流星」
鳥かごから飛び立とうとしていた由美・・・「駅」
ミステリアスな世界をさまよう由美・・・「独り言花」
「一応、完成したよ。近々HPにアップするつもりだよ。」「そんなことして大丈夫なの?」「いいや、過去の事だし・・・。」「過去の事なの?」 そんな想いや出来事は、誰でも長く生きていく中で一つくらいは心に隠し持っている。時は止まってくれないし、先の事は誰にもわからない。今はただ、現実との狭間の中で揺れ動いた心と心、本物であったと確信する事実を残して置きたいだけなのだ。誰の目に触れるか分からない、口伝いにカミさんも見るかもしれない、知った人が見るかもしれない、そんな不安が交錯する中で、『すーさんの純愛物語』をHPにアップした。
「は〜い! 昨日は2回も声がきけてビックリしたよ。最近の由美は雲をつかむようにミステリアスだね。いい事があったのかな。昼も夜も由美が仕切るんだよね。
ウフ、夜にもめっぽう強くなっているしね。
しっかり遊んで、時を取り戻しているって感じ、仕事も頑張っている。
彼やしっかりした友だちとなら、ワンナイトロマンスにはひっかからないと思うから、青春してね。えっ、もうし飽きたって?
由美が夜に強くなると、まだそれはそれで気にはなるけど、いつまでも溌剌としていた由美でいて欲しい。
由美の魅力、後で教えるね。後半戦も由美らしく頑張ってね。」