| 廃止問題の近況 |
最新の情報は一番下にあります。
| 年月 | ことがら |
| 1998年11月 (平成10年) |
名鉄、輸送密度2000人(km/日)未満の赤字線の廃止を決意。 |
| 1999年 7月 (平成11年) |
レールバス、6月29日深夜から30日未明にかけての大雨により、三河御船−枝下間と、三河広瀬−西中金間の2か所で土砂崩壊が発生し、不通となる。名鉄は代行バスを運行する。なお、3カ月後に復旧した。コメント:この災害により周辺住民の交通手段の切り替えにより、乗客の減少が進んだといわれます。豊田市、足助町、藤岡町、小原村が共同で名鉄本社へ「要望書」を提出して早期復旧を訴えた。(5日) |
| 2000年 3月 (平成12年) |
改正鉄道事業法(※)が施行。(1日)(※)この改正により、鉄道事業者は1年前に当局に届出を行えば路線を廃止することが可能になりました。名鉄、三河線など赤字6線区を同年9月末までに廃止を運輸大臣に届け出る方針を決定。(2日) |
| 同年7月 | 豊田市、三河線猿投−西中金間の赤字補てんを決定。 |
| 同年9月 | 沿線住民の有志により、「レールバス2000利用促進の会」発足。 主な活動は、駅の清掃や回数券の購入など。 名鉄、愛知県の三河線猿投−西中金間と碧南−吉良吉田間は、沿線自治体が赤字補てんをすることにより、最長で2004年9月末まで存続させることを決定。 また、2000年3月に発表した6線区のうち、残りの4線区である谷汲線の黒野-谷汲間、八百津線の明智-八百津間、揖斐線の黒野-本揖斐間、竹鼻線の江吉良-大須間について廃止届を27日に中部運輸局に提出。これにより4線区は1年後の2001年9月末で廃止が決定。 |
| 2001年9月 (平成13年) |
谷汲線など4線区が9月末をもって廃止になる。 |
| 2002年2月 (平成14年) |
「レールバス2000利用促進の会」の主催により、「レールバスの活用を考えるシンポジウム」が開催される。(10日) |
| 同年12月 | 地元5市町村でつくる「名鉄三河線存続連絡協議会」が存続運動の断念を総会で決める。これで、遅くとも2004年9月末限りでレールバスは廃止されることになった。(3日、中日新聞朝刊) |
| 2003年1月 | 地元の5市町村は、「名鉄三河線代替交通検討協議会」を平成15年1月に設立する。 |
| 同年6月 | 代替バスの運行計画を検討するために、協議会の委嘱機関として「三河線代替バス検討会」が発足する。 |
| 同年8月 | 名古屋鉄道が三河線(猿投−西中金)の廃止届を中部運輸局を通じて国土交通大臣に提出する。これにより同区間は2004年3月末に廃止される見通しとなった。(6日) |
| 同年10月 | 国土交通省は6日付けで、名古屋鉄道が三河線(猿投−西中金)の2004年4月1日での廃止届について「公衆の利害を阻害するおそれはない」と認め、名鉄側に通知した。 同区間では既に地元の5市町村長でつくる「名鉄三河線代替交通検討協議会」が代替バスの運行を決めている。(8日) ◇ 関連サイト情報 ◇ 国土交通省、中部運輸局の 記者発表・・・名古屋鉄道株式会社の鉄道事業(三河線 猿投〜西中金間)廃止届出にかかる廃止予定日の繰り上げの是非の検討結果について 検討の経緯・・・「名古屋鉄道株式会社の鉄道事業(三河線)廃止届出に係る意見の聴取の概要について」 |
| 2004年3月31日 | 2004年3月31日をもって、三河線猿投〜西中金間は廃止となる。 new |
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写真:冬の三河広瀬駅(2002年2月撮影)冬の景色はどこか寂しげです。 |
資料
「矢作新報」 1999年7月9日
「中日新聞」 2000年3月3日,2000年9月27日
他